| ■鉄道のあゆみ |
さて、このように産業や文化の要衝として発展してきた八戸市は、鉄道に関してはどのような流れを辿ってきたのでしょうか。
八戸に初めて鉄道がやって来たのは、明治24年(1891)9月に私鉄である日本鉄道が、現在の東北本線を開通させた時です。 この時、八戸の最寄り駅として、「尻内(しりうち)」駅が開設されました。場所は、現在の八戸駅になります。 この「尻内」という名前になったのは、当時は駅が開設された地が八戸市内ではなく、三戸郡上長苗代村大字尻内であったためです。地名の語源はアイヌ語で「シリオチ」(地を越すところ)とされています。
ちなみに日本鉄道は、当時の日本(官設鉄道、後の鉄道院・鉄道省→国鉄→JR東日本)が各地に鉄道を建設したいものの資金的に難があり、私鉄にも長大な鉄道の建設を認めたために設立された会社で、国の優遇措置も受けていていわば国策会社のような存在でした。 現在の東北本線や高崎線・山手線・常磐線などを開通させた後、国に買収されました。
さて、尻内駅のあった上長苗代村は、昭和30年(1955)に八戸市に編入され、八戸市にある駅となりましたが、長らく尻内駅という名前のまま存続し続けました。 それは、既に「八戸」駅が別の場所にあったためです。
尻内駅開業から3年後の明治27年(1894)に、尻内〜八ノ戸間の八ノ戸線が開通しました。もちろん、これが現在の八戸線の基となっている路線です。 尻内駅が八戸の町内から外れた場所にあったため、より当時の中心に近い湊地区への路線として建設されたものです。 この時に、八ノ戸駅(後に八戸駅)が開設され、それ以降この駅が「八戸」を名乗ってきました。
しかし、やはり八戸市の玄関駅として東北本線上に「八戸」の名前が欲しい、ということもあり、改名が検討され、昭和46年(1971)に尻内駅は八戸駅と名称が変更されました。 改称時、「新八戸」や「西八戸」などの駅名も検討されたようですが、結果として「八戸」に決まりました。 同時に、これまでの八戸線の八戸駅は「本八戸」駅に改称されたのです。
そして、2002年12月1日、東北新幹線の盛岡−八戸間が開業、八戸駅は新幹線駅として生まれ変わりました。 同時に、盛岡−八戸間の東北本線はJRから切り離され、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道の2つの第三セクター鉄道会社になり、現在八戸駅はJR東北新幹線・JR東北本線(八戸以北)・JR八戸線・青い森鉄道線が集結する駅として、重要な地位を持つようになりました。
ちなみに、八戸線の方は大正13年(1924)に岩手県の種市駅まで、翌大正14年(1925)に陸中八木駅、昭和5年(1930)には久慈駅まで開通し、全線が開業しました。 昭和47年(1972)にはSLが引退、昭和50年(1975)には久慈〜普代間の久慈線(現在の三陸鉄道北リアス線の一部)が開通して直通運転を開始し、昭和52年(1977)には本八戸駅・小中野駅周辺が高架化され、平成14年(2002)には種差駅が種差海岸駅と名称を変更して現在に至っています。
また、工業都市・八戸の運輸の一端を担うために、第三セクターの貨物鉄道会社「八戸臨海鉄道株式会社」が昭和45年(1970)12月に運行を開始し、JR貨物の八戸貨物駅と三菱製紙の工場がある北沼駅とを結び、紙製品を輸送したり、JR貨物の作業を受託したり、さらには青い森鉄道線の保守を受け持っています。 |
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