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■三陸はるか沖地震
1994年(平成6年)12月28日21時19分、岩手県宮古市の東北東約170q・深さ0kmを震源とする、マグニチュード7.6の地震が発生しました。
最大震度は八戸市の震度6。
その他、青森市、むつ市、岩手県盛岡市で震度5、秋田県比内町、青森県市浦村、天間林村、大畑町、岩手県宮古市、大船渡市、葛巻町、大迫町で震度4を記録し、北海道から中部地方にかけての広い範囲で震度3〜1を観測しました(いずれも当時の市町村名)。
なお、1994年当時は震度5・6にそれぞれ「強」「弱」の区分はありません。

また、東北地方の太平洋沿岸に津波警報、東北地方の日本海沿岸と陸奥湾に津波注意報が発表され、北海道から東北地方の太平洋沿岸で津波が観測されました。津波の大きさは岩手県宮古の55cmが最大で、津波による大きな被害はありませんでした。

気象庁では、この地震を「平成6年(1994年)三陸はるか沖地震」と命名しました。

三陸はるか沖地震は余震も発生、最大の余震は1995年1月7日7時37分のマグニチュード7.2の地震で、最大震度は5(八戸市・岩手県盛岡市・葛巻町)でした。
この他、1995年4月末日までに2590回の余震が発生し、有感地震は本震を含めて75回観測されました。

被害の総計は、青森県の調べで、死者3名、負傷者783名。家屋の全壊は72棟、半壊が427棟、一部損壊が9009棟、住宅以外の建物も231件が被害を受けました。道路の損壊も97ヵ所、港湾・漁港の被害が74ヵ所発生しました(1995年1月8日現在、消防庁調べ)。火災は7件と少なかったことが幸いです。
ライフライン関係では、上水道の断水が4200戸、停電が10万6000戸、ガスの供給停止が1500戸となりました。


続いては、この三陸はるか沖地震の詳しい被害についてです。

八戸市の中心街の一つ・朔日町(ついたちまち)の地上4階・地下1階建のパチンコ店「ダイエー」では、1階の鉄筋コンクリートの柱が折れ、2階部分の床約370平方メートルが崩れ落ち、1階部分が押しつぶされるような形となり、2人の方が亡くなり、9人が折れた柱や崩れ落ちた床に挟まれるなどして負傷しました。
このパチンコ店は昭和41年に建てられ、その後3回の増改築を重ねており、地震直前の12月22日にも改装後の新装オープンをしたばかりでした。
その他、地震によるショックにより青森県の五戸町で1名の方が亡くなりました。

被害が集中したのは、八戸市の中心地域です。
三日町の百貨店「八戸ビブレ」(当時)では、隣のビル(大学堂薬局ビル)とのつなぎ目に亀裂や段差が生じ、立体駐車場とを結ぶ通路の壁が落下するなどの建物の被害や、売場のスプリンクラーの故障による放水で商品が水に漬かるなどし、臨時休業を余儀なくされました。
十三日町の百貨店「三春屋」も地下食品売場以外の休業をするなど、商店街の各店舗では商品の被害が大きく、年末年始の商戦に大打撃を与えました。

その他、パチンコ店「コンドル」、菓子店「村福本店」など、建物が傾いたりするところも多く、中にはその後建て替えられたところも多くあります。また、八戸商工会館も1階のショーウィンドーや外壁が崩れるなど大きな被害を受けました。
ホテルやレストラン、旅館などでも、シャンデリアが落下したり、食器類が散乱するなどの被害を受け、臨時休業をする施設もありました。
商業関係では、1万2194件が被害を受けました(青森県調べ)。

公共施設も被害を受けています。
八戸市庁の旧庁舎(当時)も、外壁が落下し、内部も壁に亀裂が入るなどしたため入館が禁止されました。これらの修復には2億円近くかかることが予想されたことから、その後全面新築となりました。
八戸市斎場では、5基全ての燃焼炉が破損、うち1基はレールが曲がるなどし使用不能となり、29・30日は被害のなかった三沢市と五戸町の火葬場に協力を要請し、そちらで実施するなどの措置をとりました。30日には被害の大きかった1基以外は復旧しました。
また、八戸市東体育館では約800枚の天井板が剥がれ落ちた他、照明数個も落下、復旧にはかなりの時間を要しました。
屋外スケートリンクの長根リンクでは、冷却装置のエア抜きパイプが折れ、水道管の破裂による断水で冷却液を流し込むことができず、また氷上にも8ヵ所の亀裂が生じたため、12月29日より臨時休業となりました。

その他、国立診療所八戸病院などの医療施設178件、水道施設11件、廃棄物処理施設9件、食肉処理施設7件、社会福祉施設51件などの被害があり、青森市にある県庁舎も、壁がはがれたり水道管が破損するなどの被害を受け、同じく青森市の造道(つくりみち)公舎でも洗面台が破損するなどの被害がありました。また、青森県七戸町の営農大学校などの県の施設も21件が被害を受けました(いずれも青森県調べ)。

学校関係では、中心部にある八戸東高校、千葉学園高校の校舎が大きく破損しました。東高校では、職員室などがあった管理棟の被害が甚大で、外壁や教室の壁など波を打ったように崩れ落ち、柱が大きく歪んで鉄筋が剥き出しになるなどし、使用できない状態となりました。
また、八戸市立根岸小学校、青潮(せいちょう)小学校、白鴎(はくおう)小学校、根城小学校、長者中学校などで被害が大きく、特に根岸小学校では防音ガラスが241枚破損、校舎のつなぎ目に段差が生じたり、天井裏に埋設されていた水道パイプが天井を突き破って落下するなどの被害がありました。
他にも八戸高校では、約2年前に改築された体育館の全ての窓ガラスが枠ごと落下し、外壁に亀裂が生じるなどの被害があり、他のほとんどの学校でも窓ガラス・外壁の破損、テレビ、上履きなどの物品の落下、貯水槽の破損などの被害がありました。

文化財関係では、長者山新羅神社の鳥居が倒壊、本殿以外の高おがみ神社、神符授受所、桜山招魂社、社務所などの建物が壊滅し、境内にある石碑などもほとんどが倒れました。そのため、元朝参りはテントを立てるなどの対応をとりました。南宗寺でも、南部家墓所の墓石のほとんどが倒れ、南部会館の八戸城角御殿表門が崩壊しました。
その他、隣の青森県百石(ももいし)町では、高さ21m(台座含む)の「自由の女神」像の、トーチを持った右腕のひじから先約3m部分が折れて落下、無残な姿となるなど、観光施設は35件が被害を受けました(青森県調べ)。


次に、交通関係です。
まず、鉄道では、JR東北本線の八戸駅−陸奥市川駅で、線路下の路盤が長さ約50mにわたって陥没し、土砂が流され、レールが宙に浮いた状態となりました。また、青森県名川町の同じくJR東北本線(当時)の剣吉(けんよし)駅近くの鉄橋の一部が落下しました。
これらの影響により、JR東北本線は地震発生直後から運転を見合わせ、その後の点検により剣吉駅の鉄橋の被害は軽微なことから、八戸−青森間以外は運転を再開、不通区間はバスによる代行輸送を実施しました。翌29日には不通・代行輸送区間は八戸−野辺地(のへじ)間に縮まりましたが、この区間は復旧が遅れ、12月31日に復旧しました。
この間、特急列車や普通列車の多くが全面・区間運休し、同区間を通過する寝台特急列車も奥羽線経由で運行されました。また、盛岡−八戸間と野辺地−青森・函館間の列車も、通常の5〜6割の本数に間引きした上徐行運転を行ったため、ダイヤは大幅に乱れ、ちょうど帰省ラッシュ中であったこともあり旅行客の足に大きな影響が出ました。

東北新幹線は、地震発生直後に白石蔵王−盛岡間で運転をストップ、日付が変わった29日の午前3時前になって運転を再開したものの、大幅な遅れが生じ、盛岡駅に車両を停めて「列車ホテル」とするなどの対応がとられました。
しかし、その後大きな被害がなかったことが確認されたため、東北新幹線は29日始発よりほぼ平常どおり運行されました。

その他、JRの奥羽線、大湊線、海峡線、津軽線、五能線、下北交通の大畑線(当時)も地震発生後運転がストップし、海峡線の青森−蟹田間ではバス代行輸送も実施されましたが、29日早朝にレールの点検をした後に運転を再開しました。JR八戸線では、本八戸−小中野駅間で高架橋に亀裂が見つかりましたが、29日の午前9時前に復旧し運転を再開しました。

道路では、各所で地震による通行止めが発生しました。
八戸市の松ヶ丘の市道では、約80mにわたって深さ約1mの陥没が生じ、走行中の乗用車1台が前部から突っ込み炎上し、運転手は病院に運ばれましたが命に別状はありませんでした。
また、青森県十和田湖町の奥入瀬渓流沿いの国道102号線で、直径1mほどの岩が落下したため通行止め。青森県むつ市の国道279号線でも、上女館橋に15cmほどの段差が生じたため通行止めとなりました。
その他、青森県十和田市米田の県道も30mにわたり段差が生じて通行できなくなり、百石町明神下の県道でも約30m道路が陥没、名川町剣吉、青森県新郷村堂ヶ前、青森県三戸町高間館など随所で通行止めとなりました。

八戸自動車道では、地震発生後に通行止めとなり、南郷IC−軽米(かるまい)IC間の上下線でひび割れが発見されましたが、29日午前2時には速度規制があるものの通行できるようになり、午後には速度規制も解除となりました。
道路関係は、片側通行などになったものも含め、97ヵ所が被害を受けましたが、12月30日までに国道・県道は全面通行止めは解除されました。

ライフライン関係も大きな被害を受けました。
電気は、八戸市やむつ市など、青森県と岩手県で最大で10万6000戸が一時停電しました。しかし、29日の午前7時すぎまでに全面復旧しました。
水道は、上水道が最大4万2千戸で断水となりました。このうち、八戸市と隣の青森県階上(はしかみ)町では、断水状態が長引き、八戸圏域水道企業団と陸上自衛隊、青森市、十和田市、五所川原市、埼玉県、民間企業より給水車を派遣、八戸市・階上町内の小・中学校や市庁舎、日赤病院や市民病院などの医療施設、計40ヵ所あまりで臨時の給水活動を行いました。
その後、30日より復旧がすすみ、年が明けた1月2日未明までには全面復旧しました。
その他、広い範囲で水道管の破裂による水圧低下や、水漏れなどの被害が生じました。

ガスは、約1500戸で供給がストップしました。中でも、LPガスの「簡易ガス供給」という集中配管方式をとっている八戸市の是川団地では、LPガスを気化させる強制気化装置が爆発炎上、地中のガス管にも亀裂が生じているため、団地内全ての約1250世帯でガスが使えない状態となりました。この地域では、復旧に約1ヶ月ほど要することが分かったため、臨時で各家庭にガスボンベを配置するなどの応急措置がとられ、1月1日の夜までに仮復旧しました。
それ以外にも、都市ガスを利用している地域では至るところでガス漏れが発生するなどし、ガスが使えない状態となりました。

電話は、地震直後から安否を確認する電話が全国より殺到し、回線がパンクしたため、八戸を中心として青森・三沢・十和田各市近辺で最大で50%の通話規制を実施、29日まで電話がつながりにくい状態が続きました。
しかし、地震による交換機の故障や回線の寸断は少なく、電話が不通となったのは八戸市や青森県弘前市など1451件で、1月7日までには全面復旧しました。

三陸はるか沖地震では、津波も発生しました。
気象庁は、地震発生から4分後の21時23分、東北地方の太平洋側に津波警報が発令され、東北地方の日本海沿岸と陸奥湾には津波注意報が発表されました。
それを受け、沿岸に住む住民に対し避難勧告が出され、住民が一時高台に避難するなどしました。
津波は、北海道から東北地方の太平洋沿岸で観測され、岩手県の宮古で21時45分に51cmの第一波を観測、八戸でも21時55分に41cmの第一波を観測しました。
津波の最大の高さは、宮古で22時12分に観測された55cmで、八戸も44cm(23時2分)と、震源が浅い場所であったものの津波による被害はありませんでした。

しかし、港湾施設や臨海工業地帯では、地震で被害が生じました。
八戸港では、河原木の八太郎(はったろう)P岸壁で、長さ10mにわたりコンクリートの境目から砂が流出、またその近辺の道路や別の埠頭でも、大きいもので直径5mもの円を描くような砂の噴出が見られました。いわゆる「液状化現象」が発生したためです。
それ以外にも、同じく八太郎P岸壁で路盤が沈下して1m近く段差が生じたほか、八太郎1号埠頭D岸壁でも路盤沈下や傾斜が発生、また青森県大畑町の正津川漁港では、護岸が倒壊するなど、揺れによる被害は多く報告されました。

臨海地区に建ちならぶ工場でも、アスファルトタンクの底が押しつぶされたり、敷地内で液状化現象が発生するなどの被害が発生しました。八戸市桔梗野の八戸企業団地内でも、生産プラントが倒壊するなどして5社が操業不能となった他、天井が落下するなどの被害が発生、太平洋金属でも工業用水が供給停止となり操業できず、内陸の北インター工業団地でも給水装置が破損したり壁に亀裂が入ったほか、多くの工場で敷地に地割れが生じるなどの被害が発生しました。
青森県のまとめでは、漁市場などの施設が21件、漁港の損壊が22ヵ所、漁船が2隻、工業施設の被害は1731件にのぼります。

農業の被害も多く報告されました。
ビニールハウスや温室などの損壊が63件、水田などの陥没や隆起、法面の崩壊などが89ヵ所、水路や農道、溜池の堤の一部崩壊が113ヵ所、林道の法面や林地の崩壊が24件、サイロの倒壊や鶏舎の損壊などの畜産施設の被害は105件、うち鶏卵が13t破損し、肉牛も1頭が斃(へい)死、ナガイモ・リンゴなどの農産物の被害も35.9tに及びました(青森県調べ)。

この地震では余震も発生し、余震の回数は1995年4月末日までに2590回、有感地震は本震を含めて75回観測されました。
12月30日にマグニチュード6.3、1月1日の16時00分頃にはマグニチュード6.7の余震が発生、その後余震は次第に減ったものの、1月7日7時37分頃に発生したマグニチュード6.9の余震が発生した後は、本震の後と同じレベルまで余震活動が回復しました。
しかし、その後順調に減少に向かい、1月21日まででは余震回数は1091回(うち有感56回)が観測されましたが、規模の大きいものはあまりありませんでした。
なお、1月1日と7日の余震では、津波注意報が発令されましたが、いずれも大きな津波はなく、約1時間後に解除されています。

余震の中で最大のものは、1月7日に発生したマグニチュード6.9のもので、八戸市・岩手県の盛岡市で震度5、宮古市で震度4を記録しました。
この余震により、7000戸が新たに停電したものの約1時間後に復旧、水道も約5000戸で断水となりましたが、7日のうちに復旧されました。
また、八戸市内の国道104号線の橋がこの余震で通行止めとなり、応急復旧がなされました。

これらの地震により、八戸市に災害救助法が適用されました。また、激甚災害にも指定されました。
復興のための金融支援として、住宅関係の公庫により災害復興住宅の建設資金の融資などが実施され、北海道東北開発公庫などの政府系中小企業金融機関により災害復旧貸付も行われました。
また、青森銀行・みちのく銀行では、災害復旧特別融資を実施し、八戸信用金庫でも「三陸はるか沖地震被災者ローン」を創設、被災者の復興の手助けをしました。
NHKでも、受信料の免除の措置をとるなどしました。
そして、八戸市と三戸町にグループ店舗を持つ(当時)ダイエーより、それぞれの市・町へ救援物資が送られたのをはじめ、全国からの支援も受けました。

今回の地震で火災の件数が7件と少なかったのは、地震の発生時間が21時と夕食時からややずれていたこと、耐震装置が備わっているストーブなどの暖房器具が普及したこと、昭和43(1968)年に発生した十勝沖地震の教訓が生かされたことによるのではないか、とみられています。
また、余震活動が比較的早期に終息に向かったことなどから、復旧作業を早く進めることができたため、ライフラインの回復も早くなったと考えられます。停電となった時間が短かったことも、情報不足・不安の解消に役立ちました。
直下型ではなかったことから家屋の大きな損壊も少なく、多くの方が自宅で生活を送ることができたことも、地震発生後の疲労や精神的なダメージの軽減につながったと考えられます。

しかし、それでも被害は大きく、総被害額は青森県の調べで754億円あまりに達しました。
地震から約半月後の1995年1月15日に、阪神・淡路大震災が発生したため、三陸はるか沖地震のその後の復興などが報道で伝えられることがなくなってしまいましたが、倒壊したり傾いた建物の建替えや、ライフラインや交通の完全復旧などがすすめられ、震度6を経験した八戸は復興をすることができました。

三陸はるか沖地震の経験は活かされ、旧庁舎の損壊により全面的に建て替えられた八戸市庁の新庁舎は、完全な耐震構造が施されるなどしています。
また、元々小〜中規模の地震が多い地域ではありましたが、より市民の間にも防災意識が高まったと考えられています。

そして、地震から8年後の2002年12月、東北新幹線は八戸まで到達し、青森県や北東北の玄関口として、新たな未来を切り拓いていこうとしているのです。

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