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■平成の大合併の経緯
合併特例法により全国で市町村合併の動きがみられますが、八戸市も例外ではありませんでした。
2001年より合併協議会を設置し、様々な話し合いが続けられてきました。
しかし、様々な経緯により協議会が一度解散するなどの波乱の道を辿ってきました。
その後、お隣の南郷村との一市一村での合併が決定し、2005年3月31日に八戸市は南郷村を編入合併しました。
これまでどのような流れを辿ってきたのか、周辺市町村の図と一緒に見ていきましょう。

2003年までの合併図八戸地域では、2001年(平成13年)7月にまず任意の合併検討協議会が設置され、合併に関しての調査や話し合いがなされ、その後の2003年(平成15年)4月1日に、法定協議会である「八戸地域合併協議会」が設置されました。
この「八戸地域合併協議会」には、八戸市を中心として、福地村・南郷村・名川町・南部町・田子町・新郷村・階上町の8市町村が参加していました。

この時の法定協議会では、2004年度中には市町村での説明会を経て合併調印が行われ、正式な合併を2005年1月1日にすること、合併の方式は八戸市への編入として福地村・南郷村・名川町・南部町・田子町・新郷村・階上町は廃止すること、新市の名称は「八戸市」とすること、新市の市役所は現在の八戸市庁として現在の各町村役場は支部とすることなどが決定されていました。
ちなみに、名称については南部町が「奥州南部市」を主張し、その他の町村は「八戸市」とすることに異論がなく、南部町も最終的には「大勢の意見に従う」としたため、「八戸市」となりました。
また、田子町は合併に参加していない三戸町をはさんだ形だったため、新市には飛び地ができることになっていました。

この新生・八戸市合併が成立すると、新しい八戸市は人口約28万2000人、面積約852平方kmとなり、もし青森県内の合併が全て当時の計画通り成立したとすると、(新)弘前市、(新)青森市に次ぐ3番目の人口の都市となる見込みでした。
現在の青森県内第2位の人口規模からワンランクダウンしてしまうのですが、これにより八戸市は東北新幹線の駅があり、岩手県・秋田県と県境を持ち、日本でも有数の港があり、スケートリンクとスキー場があり、ニンニク生産量日本一で、キリストの墓もあり、白鳥もやってきてジャズでも有名、という街になるはずでした。
JRの駅は12(臨時駅含む)、第三セクター青い森鉄道の駅は5つになり、高速道路のインターチェンジ(有料道路は除く)は2つでした。

階上町離脱後の合併図しかしその後、階上町がこの合併協議会から離脱することになりました。
階上町は、2003年2月に実施した住民投票で、賛成票が多かったため参加となりましたが、2004年になり住民グループによる合併反対の陳情が出され、それが町議会で採択され、合併協議継続が否決されたため離脱となりました。
それを法定協議会も了承、八戸市・福地村・南郷村・名川町・南部町・田子町・新郷村の6市町村での合併に向けた協議が続けられました。
ところが、すぐに八戸市が新たに枠組みを再編した方が良いという結論を出し、2004年6月30日で八戸地域合併協議会(法定)は一度解散されました。

その後、新しい枠組みについてどうするか、八戸市で検討がなされてきましたが、その間に八戸市以外の5町村では『八戸不信』が強まってきました。なぜ枠組みが八戸市単独で決められてしまうのか、そもそもなぜ解散してしまったのか…etc…。
それ以前からも、議員など特別職員の身分や報酬格差の問題、新郷村と田子町の水道施設改修に多額の費用がかかる問題など、合併への障害ともなる多くの問題が未解決のままでした。
5市町村枠組み決定後の合併図
そして、2004年8月中旬に、八戸市議会は八戸市・福地村・南郷村・名川町・南部町の5市町村での合併とする枠組みを正式に決定、これにより水道改修が必要な新郷村と田子町は枠組みから外れることになりました。
八戸市としては、今回は5市町村で合併をし、その後財務体質などが安定した頃に再度参加を呼びかける二段階方式で行こう、という事にしたわけです。

しかし、これによりいわゆる『八戸不信』は高まることになってしまったのです。
3町村離脱後の合併図2004年9月に入り、合併枠組みに入っていた1つである名川町が、南部町・福地村・名川町の3町村での単独合併を目指す方向を村議会で決定、南部町・福地村も同様の方針で意見が集約されました。
そのため、この3町村は八戸市の合併枠組みより外れることになりました。
その後この3町村は2006年1月1日に合併し、新「南部町」(なんぶちょう)が誕生しました。

一方、南郷村は、当初の予定通り八戸市との合併を目指すことに決まりました。
そこで、2004年9月27日、八戸市・南郷村の両議会で法定協議会である「八戸市・南郷村合併協議会」を設置する法案を可決、2市村での合併が正式に決まりました。

その後は、10月中に4回の協議会を開き細かな部分を協議・調整の上25項目を承認、住民説明会などを経て、10月30日に合併調印が行われ、11月5日に青森県に合併を申請、2005年3月31日付けで合併し、新しい八戸市が誕生しました。

2004年8月末現在の八戸市の人口は24万3702人、旧南郷村は6775人で、新しい八戸市は25万477人となり25万人を若干超えました。
また、面積は約305平方キロメートルになりました。

ちなみに、三戸町は合併をしない方針、五戸町は倉石村と合併をして新「五戸町」が、十和田湖町は十和田市と合併して新「十和田市」が既に誕生しました。
百石町・下田町・六戸町の3町は「おいらせ市」として合併を進めていましたが、2005年1月になり白紙となってしまいました。その後、百石町と下田町の2町によりとしての合併の話し合いが行われ、2006年3月1日より「おいらせ町」としてスタートします。


八戸市と南郷村で2004年10月30日に交わした合併協定書では、以下のことが盛り込まれました。

合併の方式は南郷村を編入する方式で、新市名は「八戸市」、主要な事務所の位置は現在の八戸市庁に置かれます。
また、旧南郷村地域には、合併特例法に基づいて地域自治区となる「南郷区」が向こう10年間設置され、その「南郷区役所」は以前の南郷村役場に置かれ、特別職となる地域自治区の区長が1人、2年間置かれています。
南郷村区役所では、従来通りの住民サービスの提供や、地域振興を企画するなど、総合支所機能を持ちます。
また、島守支所もそのまま残されますし、南郷区内の住民からなる地域協議会も設置され、八戸市の基本計画の変更などの南郷区内に関係する事柄に関して、市長に意見を述べてもらうなどし住民の声を反映させることになっています。

住居表示は八戸市はそのまま、南郷村区域に関しては「八戸市南郷区大字○○」となりました。

新市の建設計画では、主要施策として、旧南郷村から要望が出ていた八戸市是川と旧南郷村島守を結ぶ幹線市村道・西母袋子線の整備、南郷野球場の改修、除雪体制の強化などが盛り込まれています。

また、議会議員は在任特例を適用して、旧南郷村議員(定数16)も(旧)八戸市議員の残任期間までは全員が残ることとなり、結果一時的に新・八戸市議員は52人となっています。
編入合併のため、南郷村の村長・助役ら特別職は全員失職となりました(地域自治区の区長を除く)。





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